防衛機制
一般に外的な環境からの危険に対して自己を守ることを防衛というが、精神分析では主として内的な危険、すなわち不安から自己を守ることを防衛という。すなわち、内部から発する衝動や自我との葛藤、あるいはそこから起きる不安を避け、自分を守ろうとする行動のしかたを防衛機制(defence mechanism)という。これは破局を避けることによって、生活体と環境との間の不均衡を回復して安定した適応状態をもたらそうとすることにほかならないので、適応機制(adjustment mechanism)と同じことである。
欲求不満の状態に陥ったときに、いたずらに情緒的反応に走らず、これに真正面から積極的に取組み、現実の客観的認識および分析の上に立って、その場にもっとも有効適切な方法によって問題を解決しようとする理性的、合理的な態度がとられることもあるが、多くの場合は情緒的反応によって不合理な解決のしかたがなされやすい。この場合の行動様式すなわち防衛機制も種々様々であるが、その主なものは次のとおりである。
1.攻撃(aggression)
ダラード(dollard, J.)らは攻撃はつねに欲求不満の結果であるという仮説を提唱したが、欲求が満たされないときの最も基本的な反応様式は攻撃で、特に年少者に多く見られる。これによって、一時的には緊張の解消が起こることがある。
攻撃の対象は普通は妨害要因そのものに直接向けられるが、この攻撃が社会的に許されないとか、攻撃しても歯が立たないとか、かえって罰せられるというような場合は、この攻撃的行動への妨害がより強度の欲求不満を引き起こし、ここに悪循環が生ずる。このように禁止された攻撃的行動は他の対象に置き換えられたり(八つ当たり)、変わった形であらわれたりする(空想による代償的満足)。また、攻撃の対象も形も変化したひとつの場合として自己攻撃がある。すなわち、攻撃が外部に向けられない場合、内向して自己軽蔑、自己嫌悪となり、更にはなはだしいときは実際に自分の体を傷つけたり、自殺を試みたりする。
2.逃避(escape)
これは欲求が阻止された困難な場面や不安を感じさせる場面から逃げ出し、更に緊張が高まるのを防いだり、消極的に身を守ることによって安定性を取り戻そうとすることである。これは、単に退くことによって身の安全をはかる退避(物理的逃避、中止、あきらめ)、現実で満たされない欲求を自由な空想の世界で代償的に満足させようとする非現実への逃避、または空想への逃避(空想、白昼夢、回想)、当面する問題を避けて、それとは直接関係のない他の活動に没頭する他の現実への逃避(レクリエーションその他)などがある。また特殊な場合として、適応困難な状況に直面することが避けられなくなったとき、その状況への適応行動に欠くことのできない機能が働かなくなる病気への逃避がある。これは当人に意識されずに起こり、ヒステリーにしばしば認められる。いずれにせよ、逃避するだけでは当面の困難を回避することはできても、本来の欲求の満足は得られないので、緊張は充分には解消されない。
3.退行(regression)
これは一種の逃避とも考えられるが、人格の内部構造の未分節化に伴って生起する未成熟な段階での行動をとることをいう。すなわち、現在より低い発達段階でのみ許容されるような幼稚な行動をとることをいう。たとえば、親から可愛がられていた子どもがが、弟妹の誕生によって愛情の欲求が阻止されると、指をしゃぶったり、夜尿をしたり、よく泣いたり、急にわからずやになったりするのがこの例である。
4.補償(compensation)
自分のある面での欠陥や欠点を、他の面での優越性によって補うことをいう。身体が弱くて運動の苦手な子が、勉強に専念して、運動での不満をカバーしようとするのが、この例である。また、配偶者への不満を子どもへの盲愛によって補おうとするのもそうである。
5.昇華(sublimation)
反道徳的な欲求は、社会的な力によってその自然の発現が抑制されているので、そのような欲求を満たすためには、社会から承認される形に変形しなければならない。この変形過程を昇華と呼ぶ。たとえば、宗教や芸術的活動、映画やダンスには性的欲求の昇華が見られ、スポーツやゲームは攻撃欲求の昇華が考えられる。
6.置換え(displacement)
ある対象に向けられていた欲求が満たされないと、対象を他のものに置換え、それによって不満による緊張を解消しようとするメカニズムである。父親に対する敵意や憎悪を職場における上役や、学校における教師に対して持ったり、母親に対する依頼心が、後に恋人に対する甘えの感情のなかに残っていたりするのがこの例である。このように人から人に置き換えられるだけでなく、人から動物へ、または物に置き換えられることもある。たとえば子どものいない夫婦が猫を可愛がったり、孤児院を経営したり、骨董品を集めたりするような場合である。
7.抑圧(repression)
これはそのままの形で発現すると不安や破局を招くおそれのある欲求や感情を、意識しないように無意識の世界に押しこめてしまうことをいう。人間が社会的に適応していくためには、抑圧ということは大変必要なことである。しかし、抑圧された欲求は、本人は意識しないが、解消されないまま精神的にしこり(complex)となって無意識のなかに蓄積され、これが無意識的に葛藤を引き起こし、折にふれて形を変えて意識界に現われて、不適応をもたらすことが多い。神経症的兆候の多くはこのような場合である 。
8.反対構成(reversal formation)
そのままの形で発現することが好ましくない欲求が抑圧された場合に、それと反対傾向の行動として表出されることをいう。きびしい禁欲主義や性への蔑視が強い性的関心から発していたり、継子に対する過度のあまやかしが、実はその子に対する無意識的な憎しみから発しているような場合が、この例である。
9.固定または固着(fixation)
これはある行動がその際の状況とは無関係に、紋切り型に持続するこという。欲求不満を反復経験すると、行動の柔軟性が消失して、問題解決には無益な、あるいは不合理な特定の行動が、強力に、持続的に繰り返されることがある(頭をかく、舌を出す)。
10.同一化(identification)
これは自分よりすぐれた人と自分とを同一視することにより、自己の欠点や弱点を補い、不安を減少させ、その価値を増大し、満足を得ようとすることである。尊敬する人の服装や口調をまねたり、自分の親や出身校の自慢をしたり、映画や小説に熱中してその主人公と自己を同一視して現実には阻止されている欲求を満足させるなどは、この例である。また虎の威を借りる狐の類もこれである。
11.合理化(rationalization)
これは自分の失敗や欠点を承認すると自己の価値が低下するので、これを認めようとしないで、もっともらしい理屈をつけてこれを正当化し、自分の価値を保持しようとすることである。仕事がうまくできないと道具のせいにしたり、能力が足りなくて試験に失敗しても問題が悪いといったり、体の調子が悪かったといったり、仮に受けたのだといったりするのが、その例である。イソップ物語にあるすっぱいぶどうや甘いレモンの理屈もこの機制である。
12.投射(projection)
これは自分を他人の中に転置するメカニズムで、心中ひそやかに抱き、押さえている好ましくない欲求や感情があるとき、これを自己のなかに認めると不安になるので、これを他人に移しかえ、他人がそれをもっていると思いこむことである。このメカニズムは無意識的に営まれる。異性間の嫉妬、攻撃的傾向などに、よくこの投射が現われる。これが病的になると被害妄想になる。投射のもうひとつの形式は、自分の失敗や欠点から生ずる非難を他人のせいにすることで、いわゆる責任転嫁である。