シュプランガーの価値類型
人は常に周囲の環境社会と関係をもちながら生活しているが、その社会生活上の諸活動や文化の諸領域への関心や価値志向のあり方を見ると、そこには人によって様々な相違が見られる。シュプランガー(Spranger, E. 1914)は人間の精神活動がいかなる価値を中心的価値として追求しているかによって、次のような類型を立てた。
理論人(der theoretische Mensch)
彼の心は純粋な客観性に向けられている。感情・欲求・嗜好・嫌悪・恐怖・希望などに対する対象の関係は彼にとって無意義であり、彼はただ客観的認識への熱情を知るだけである。彼はひたすら真理を追究するが、実生活上の問題の解決には無力である。個人主義になる。
経済人(der ökonomische Mensch)
彼はすべての生活関係のなかで実用的な着眼点を重要視する。実際的人間と呼んでもよい。彼の行為の主要価値は行動自体のなかにあるのではなく、そこからもたらされる実用的効果に存する。彼はすべてのものをその利用価値に従って経済的見地から判断する。彼はまったく利己的であり、その欲望の目的は財産である。
審美人(der ästhetische Mensch)
彼は現実的な欲求や行動に直接つながりあうことをせず、むしろ理論的な思慮を離れて生活の様々な遊びを楽しく観照する。そうした人びとのうち、生活の印象を純粋に受動的な態度でとらえ、すべてのものからあたかもその芳香を吸収するような人が印象派(Impressionist)であり、他方、あらゆる印象に対して自己固有の主観的色彩を付与するような、強烈な内面性を有する主観的性質の人が表現派(Expressionist)である。この型の人びとにとっては美は最高の感覚充実であり、また人生の本来の生活価値である。
社会人(der soziale Mensch)
社会的態度は他人の生活への関心であり、共同社会との献身的な融合である。その最高度の発現は社会的な精神愛であり、対象は個人から社会全体にまでおよぶことになる。彼らは他の人びとに助力することのなかに自己の生活の最高の価値を見出す。彼らは思慮も打算もせず、経済的な原理に対してはきびしく対立する。しかし、純粋の社会型は稀であって、精神的献身の行動は同時に自己価値の高揚として体験される。社会型の最高の現世的表現形式は母親であり、その場合は愛の本能が全人格を構成する生活意志になるのである。
権力人(der Machtmensch)
彼は権力意識と権力享楽に傾倒し、支配と命令を志向する。彼は自らを力として感受し、その力のなかでのみ彼独自の生活意識を満たしていく。生活上すべての価値領域は彼の権力欲に奉仕させられるのであって、知識は支配の手段であり、芸術は権力衝動の展開に奉仕すべきものとされる。この権力人を経済人と混同してはならない。権力人は節約とか労働とかの経済の法則には従わず、むしろ外交や談判、征服や強制によって事態を処理するのである。
宗教人(der religiöse Mensch)
信仰の核心は存在の最高価値を探求するところにある。至高のものを自己のなかに見出した者は、法悦と救済を感ずる。ところで、この型のなかにもいろいろな相違が見られる。すなわち、内在的神秘家(immanenter Mystiker)の宗教は絶対的な生命肯定を志向しており、人生のすべての積極的価値のなかに神性の発露を見出す。他方、超越的神秘家(trnszender Mystiker)はすべての生活価値を存在の生活価値とは無関係のものと見て、最高価値を極端な現世否定の道の上に見出そうとする。しかしこれら両者の極端なものは稀であって、普通は双方の結合型が存在する。
シュプランガー(Spranger, E. 1914)の価値類型